開設の目的と背景

『日本ハンザキ研究所の開設』

所長 栃 本 武 良

 

“ハンザキ”はオオサンショウウオの昔の標準和名でした。半分に裂いても・・などと誤解される元になったのは、体の幅と同じ幅で口が開くからでしょう。まるで半分に裂けているかのような大きな口が特徴的で、ジッと岩のように動かず、ひたすらに鼻先へ獲物が近づくのを待って、一瞬大口を開いて丸呑みにします。

半分に裂けたような大きな口
半分に裂けたような大きな口
獲物を捕まえた瞬間
獲物を捕まえた瞬間

 この根気強い動物は、世界最大の両生類として岐阜県以西の本州と四国、九州の一部に棲息しています。分布の中心は中国山地の河川で当地方には多産しますが、地球規模で見るとほんの一点にしか生き残っていないのです。ヨーロッパ大陸では化石しか残されていないのですから、絶滅に向かいつつあると考えられます。このオオサンショウウオ科には日本と中国、米国の3種のみが知られているだけです。地球の温暖化が心配されていますが、河川の水温が上昇すると生きていくことが出来なくなり、地球上からその姿を消すことになってしまうのです。

 

 姫路市立水族館では、地方の博物館施設の役割である地方の自然誌を調査研究し記録すると共にその保全にも力を注いで活動してきました。オオサンショウウオの生態調査や保全への提言などをこの30年間ほど実施してきたのです。本種は知名度が高く国の特別天然記念物に指定されているにもかかわらず、生態調査がほとんど行われてきませんでした。保全対策を立てるには生態が不明ではなす術がありません。基本的な寿命にしてもシーボルトがオランダへ持ちかえった個体が51年間飼育されたという最長記録しか無いのです。その訳は、人間の寿命よりも長いライフサイクルを持っているからでしょう。一人の研究者では対応できない時間の問題があるのだと思います。

 

 私の調査フィールドである、市川上流にある朝来市生野町の廃校を幾つか見させていただいたところ、市川沿いの旧・生野町立黒川小・中学校と教員宿舎に目が止まりました。平成4年に閉校になった鉄筋二階建ての校舎も宿舎もすぐに使えそうな程綺麗なまま残されていたのです。早速、朝来市教育委員会にお願いしたところすぐに許可が頂けました。平成17年8月から調査基地として使わせて頂いており、ここを「日本ハンザキ研究所」と名付けたのですが、オオサンショウウオでは長ったらしいから簡便な名にしました。

日本ハンザキ研究所の入り口案内板
日本ハンザキ研究所の入り口案内板
あんこうミュージアムセンターの展示
あんこうミュージアムセンターの展示

 調査用具と寝袋などを搬入し、ハンザキ号と名付けた自転車に調査中の幟旗を立てて生野の山のなかを走り回っています。帰りは下り坂なので楽ですが往きは生野ダムの急坂をウンウン言いながら押して登ります。いつまで体力が持つのか心配でありますが。

 

 生野町は天領で代官所があって、大きな旅籠「井筒屋」が栄えていたそうです。その井筒屋の民具など一式が町に寄付され、この校舎に収蔵されていました。私は今、大きな夢を描いています。校舎の一階部分はオオサンショウウオを中心にした市川水系の水槽や円山川水系の水槽などが並ぶミニ水族館と朝来群山の自然誌を物語る昆虫や鳥類、植物などの自然誌系博物館にすると共に、二階を生野の歴史民俗文化遺産の博物館にする夢です。総合的な「朝来あんこう博物館」構想です。あんこうは生野地方でのオオサンショウウオの愛称です。「ハンザキ研」と「あんこ博」の共存ということです。

 

 体育館は研修会・講演会・研究会など色々な集会にも使えそうですし、校庭ではテント生活も可能です。施設やスタッフが充実されれば、ここが但馬の環境学習の拠点にもなり情報の発信など啓発活動もできます。京阪神などの子供たちには恰好の林間学校と川遊びの場が提供されるでしょう。道路からは川で仕切られ橋が一本掛かっているだけで、学校の敷地以外は山に囲まれているというすばらしい環境立地も備えています。この橋から川のなかを覗くとオオサンショウウオがウロウロしているのを観察することもできます。また、児童用のプールが2面ありますので、山水を引き込めばオオサンショウウオの緊急収用施設にも繁殖育成放流施設としても有用な存在になるでしょう。

廃校となっていた黒川小中学校
廃校となっていた黒川小中学校
橋の下の自然巣穴と命名"黒主"
橋の下の自然巣穴と命名"黒主"

 1975年6月から2007年12月までの調査で約1,350個体ものオオサンショウウオを識別して登録し追跡調査中です。半数以上の750個体には永久標識であるマイクロチップを埋め込みました。今後の数十年単位での個体追跡調査の結果が楽しみになりますが、私にはその時間が残されていません。今は、後輩のためにひたすらチップを打ち込んで、できるだけ多くの個体登録を後世に委ねたいと考えています。姫路から生野への川筋にはサンショウウオが多産するという昔の紀行文どおり、市川水系にはハンザキが多産しています。この世界に誇ることの出来る自然遺産を次代へそのまま伝えることが出来るようにしたいと考え、ハンザキ研究所を立ち上げました。活動はまだまだこれからの事ですが、少なくともその基盤作りを始めることができたと思います。

 

 バックアップしていただいたNPO法人地域再生研究センター(2006年1月認証)や朝来市教育委員会だけでなく、兵庫県や国・文化庁などとの連携を含めて多くの方々からの後援を得て、なんとか夢の実現に一歩でも近づけたいと考えているところです。

 

2006年8月

熱く優しくオオサンショウウオを語る栃本所長
熱く優しくオオサンショウウオを語る栃本所長
廃校利用の構想は、スケールも大きく夢も広がり、少しずつ実現しています。
廃校利用の構想は、スケールも大きく夢も広がり、少しずつ実現しています。